日差しの中でピクニックを楽しむ親子

どんな経過をたどるのか(体験談) 眠れない【後編】

カウンセラーとなり自らの経験を活かす

女性・45歳。発症時は38歳。28歳のとき自営業の男性と結婚。主婦として仕事が忙しい夫を支えてきた。2人の息子に恵まれ日々充実した毎日だったが、夫に女性の影がちらつき始めた頃から、眠れなくなるように。

まずは前編を読む

万人に効くはずの薬で廃人寸前の状態に

夫の女性関係が発覚したのをきっかけに眠れなくなり、食欲もなくなって2週間で15Kgの激やせ。生理不順もあったので更年期を疑い婦人科にかかったところ、私の状態を見た先生から「カウンセリングを受けたら良いのでは?」と言われ、ようやく自分が「心の病気」であることに気づいたのです。
「病気なら治さなければいけない。それには病院へ行かなければ」と考え、まずは、記憶にあった看板を頼りに自宅近くの心療内科クリニックへ行きました。そこで、アンケートと問診から「うつ病」と診断され、睡眠薬と躁うつの薬を処方されました。

私は普段から薬はできるだけ飲まないようにしていたので、「できるだけ弱い薬を」と頼んだのですが、どうやら私には合わなかったようです。飲むと24時間眠気が続き、無理に起きてもフラフラで立っていられません。トイレへも這って行くほどでした。1日中朦朧として家事ができないので、家の中は荒れ放題。それを見た夫は、病気で薬を飲んでいるのを知っているのに私を責めます。子どもたちのためにも早く良くならなければと思い、先生にも「万人に効く薬ですから」と言われていたので、必死になって1ヶ月ほど服用しましたが一向に良くなりません。このままでは治るどころか廃人になってしまうのではと不安になり、かかりつけの内科の先生に相談して、大学病院の心療内科を紹介してもらいました。

大学病院では「即、入院レベル」と診断されましたが、家庭の事情を話して入院はしたくないと言ったら、それなら…と、ごく弱い睡眠導入剤と気持ちが落ち着く漢方薬を処方してくれました。今度の薬は前ほどひどくはありませんでしたが、病状が良くなることもなかったので、またすぐ飲まなくなりました。

この頃は、体調も精神状態も夫婦関係も最悪。心のやり場がなく、自分を責めてばかりいましたね。夜中、あまりのつらさに本気で死のうとしたことが2回あります。でも、なぜか毎回上の息子が起きてきて、死ぬことができないのです。2回目のときは息子も何か感じたらしく「どうしたの?」と聞くので、「お母さん、生きているのがつらくて死のうとしたの」と言ってしまうと、「やめて!」と泣いて止められたのです。このまま死んだら、子どもにどんな思いをさせるだろう。「絶対に元気にならなければ!」と決心したのは、そのときでした。

「こうあるべき」という思い込みから解放されて

実は、最初にかかった病院の先生に家庭の状況を話したとき、「ストレスの原因を遠ざけることが、病気を早く治す秘訣ですよ」と言われ、別居を薦められていました。でも、そのときの私には、別居などありえませんでした。子どもたちのために、家には両親が揃っていなければいけないと思い込んでいたのです。その気持ちと夫への怒りが自分の中で折り合わず、ストレスで症状は悪くなる一方でした。それが、息子に泣かれたことで、「本当に子どもたちのことを思うなら、一番大事なのは、私が生きて元気でいることだ」と気づき、「家族はこうあるべき」という思い込みが薄らいだのかもしれません。夫との関係を見直そうと思った矢先、私の気持ちを先取りするかのように、夫は家を出て行きました。そして、その数日後から、私はまた眠れるようになったのです。食欲も湧き、気がつくと笑顔も戻っていました。

元気になった今、私はカウンセラーの仕事をしています。

「うつ」になったばかりの頃、母に連れられて行った婦人科でカウンセリングを勧められました。大学病院の心療内科の先生に、「薬も大事ですが、心の内を話せる人がいることも大事ですよ」と言われたこともあります。結局、不調の真っ最中の頃はカウンセリングを受けることはなかったのですが、学生時代の友人に話を聞いてもらい、気持ちが軽くなったことは何度もありました。私には薬が良くなかったこともあり、カウンセリングという薬を使わない方法に興味を抱き、導かれるように勉強を始めたのです。それが、私自身の振り返りにもなりました。改めて周囲を見回すと、似たような悩みを抱えたママ友がいたり、まだ小学生なのに無気力・無表情な子供がいたり、想像以上に心が疲れている人が多いです。同じつらさを経験している私だからこそ、力になれることがあると思い、少しずつですが頑張っています。

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